惨憺たる結果!!
冒頭から社労士と無関係で申し訳ありませんが、
家庭菜園のジャガイモを収穫した。
今年は天候不順の日照不足で、
花がほとんど咲いていなかったのだが、
いやな予感が的中して、驚異の不作。
約20個のタネイモを植えたが、
まともな大きさのものは同じ数くらいしか収穫できなかった。
悲しい。
ジャガイモの横の柿の木が予想以上に葉を茂らせて、
ただでさえ少ない日当たりをさえぎったという誤算もあったのだが……。
その他の野菜も、キュウリが少々の収穫が続いているが、ナス、ピーマン、トマトは生長不良。
ずいぶん土にお金をかけたが、報われず。
菜園、ガーデニングは手をかければ成果のある趣味だったのだが……。
人間の力だけではどうにもならないことがあるのはわかっているのだが……。
続いて庭の草むしりをするも、数分で汗だく。蒸し暑さでくらくらふらふら。
ジャガイモの収穫にご不満な様子のケメ子。
さて、業務の進捗だが、
1社目の就業規則改定作業が終了し、
納品、ご請求となった。
初仕事を終えて感無量というか、
ああ、やっと終わったという感じ。
就業規則改訂をダブルメリット式就業規則と銘打ち、
複数の従業員にインタビューを行い、
会社にも社員にもメリットのある新制度の提案を行い、
社長が関心を示したものには制度概要と運用マニュアルをつけてと、
自慢じゃないが、至れり尽くせりの仕事なのだ。
訪問は計7回。デスクワークは約20時間。
愚痴りたくはないが、これで12万5000円。
しかも、現在検討中も含めて5社中顧問社労士がいないのは1社のみ。
つまり、その他は単発で終了ということ。
嗚呼、虚しい。
しかし、その1社は人事評価制度および賃金制度を見直したいという。
大きな仕事の期待。
方向性としては、
中小企業のよさを残す制度として、
年功的要素を残しつつ、
評価給の割合を多めにした職能資格制度の導入がよいと思うのだが。
評価給の査定に、極めてシンプルな目標管理を導入してもいい。
しかし、それだと仕事のボリュームはそれほど大きくならないのが悩ましいところ。
それに、トレンドとしてはどうか?
そこで、いきなり、成果主義・目標管理について、少し考えてみる。
【不定期連載コラム】
『目標管理3つの難所』
1・誰が評価するのか?(その①)
成果主義の中心となるツールは目標管理制度であるが、この制度は運営の難しさから多くの問題を生み、改革の動きが起こっている。
方向性としては、個人単位の評価から部署単位の評価へといえるが、これもある意味妥協策であって、さらなる混乱の要素を含んでいる。
そもそも目標管理制度の運営がなぜ難しいのかといえば、1番目の問題は、個人の業績に対しての客観的な評価が、はたしてできるのかということである。
目標がその社員にとって十分なものなのか、他の社員と比較せずに絶対的評価ができるのか、同様に部署間においての評価はどうなのか。
評価とは価値の算出であるので、絶対的なものさしとなるものがなければ、そこには必ず評価者の心情というグレーゾーンが発生し、評価者と被評価者双方の納得は難しい。考えるまでもなく、社内における多様な役割から生まれる仕事のパフォーマンスを絶対的に測るものさしは存在し得ない。
たとえば、10名程度の規模の部署だとしても、その中でさえ上長が客観的な評価をするのは難しいという意見が多い。
私自身、成果主義(目標管理制度)の運営に、最初は査定される者として、後には査定するものとしてかかわったが、査定される側においては、常に下された評価には納得できなかったし、査定する側としては、部下である社員が納得しているのか不安に思う気持ちが強かった。
しかも、査定される際に不幸であったことは、上長がその部署の実務を未経験の場合があったこと。逆も同様で、査定する際に、私自身がその部署の実務を十分に経験せずに管理職となったケースもある。
つまり、実務未経者の上長には、自分の仕事を正当に評価できないのだろうと『思い込んでいた』し、自分が実務を十分経験していない部署では、端から客観的な評価はできないだろうと『思い込んでいた』。
この論理で客観的な評価を行うとしたら、査定者が現場の経験者であり、一般スタッフより圧倒的に実務面で優秀であり、かつ、えこひいきなく部下を評価できる聖人のような人でなければ、目標管理の評価はできないということになってしまう。(長すぎるので続く)
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